久々の泉鏡花、長編小説『芍薬の歌』を詠んで嬉しくなってしまったので、久しぶりにブログを更新します。
この作品を一言でいえば、言葉の玉露。
漢語と仮名ことばによる音楽。
繊細かつ大胆な意匠の至極の細工。
トホホ、筆者の実力ではとても一言では足りません。
さて、軽くご紹介していきましょう。
夜鷹の紙人形に秘められた翡翠の玉を巡る因果譚。不思議な力を持つ宝玉によって導かれる物語——というと、馬琴の『南総里見八犬伝』を思うかもしれませんが、むしろ読んでいる感触は因果譚・怪異譚として秋成の『雨月物語』や、女性の生き方や悲哀を語る場面は紫式部の『源氏物語』を髣髴とさせます。
人間にはどうすることもできない宿命の不可思議さと、社会や欲望に縛られた人間の懸命なもがき、あがき。この二つの糸が巧妙に絡まり、もつれ、千切れ、結ばれます。その様が耽美というも愚かに時に清々しく、時に不気味で、美しいのです。
玉を巡る因果はいつしか複雑な愛憎劇に発展し、いたいけな少女だの、貴公子だの、令嬢だの、画家だの、夜鷹だの、悪漢だの、一癖二癖ある人々の群像劇が繰り広げられます。
多くの鏡花作品にいえることですが、やはり、鏡花一流の芸にくらくら。読んでいるだけでふわーッと気分がよくなるような、言葉がざわめき躍るような体験。
とりわけ顕著なのが、場面場面での文の調子の豊かな変化。テンポ良い掛け合いがあり、凛として艶な美文があり、前近代/近代の対比も文体で描き分けられています。前半の宴会シーンなどコミカルで面白い。そして山場の怪異は彼岸をみせてさすが。結末へ収斂する、意地と義理と混沌と美が饗宴する筋書きは、見事。背景も、人物も、舞台も、沸き立つ時間も空間もなべて妖艶にして凄絶、こんな文句が、けして大袈裟にならない色気があります。
そして忘れてならないのが、鏡花が描く、美しく気高い女性たち。なんといっても、主人公の一人、お舟の魅力はたまりません(余談:こういうミステリアスな人物は、好きなタイプ)。夜な夜な橋に現れる、謎の女性……。神出鬼没の彼女の存在は、『芍薬の歌』を端麗に切なく彩ります。
もちろん、男性陣も魅力的。端正なヒーローと、俗悪なヴィラン。いわゆる善玉悪玉がきっぱりと、しかし鮮やかに描かれていますよ。
どれだけ信じがたく、どんなに面妖なことでも、どんなに醜悪なことでも、鏡花一流の芸にかかれば、忽ち読む快さをもたらす言葉に。 日本語散文による交響のひとつの達成に思われ、この絶品を読み終えたときだけに体感する震撼がその証拠となります。
さて、次は、『山海評判記』か『由縁の女』か……。今から楽しみです。